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ピーターノーマン(銀メダル)の実話公開!謝罪するのに時間がかかった理由とは?



1月26日(水)19時57分からのアンビリバボーでは
メキシコオリンピックの男子200mで銀メダルを獲得した
オーストラリア出身のピーターノーマンについて語られます。

国からは期待されずにいた男が予想を覆して見事メダルを
獲得したのにも関わらず、人種差別に関わる歴史的な問題により
国からは無視され続けたのです。

この実話がアンビリバボーにて公開されます。

また、後にオーストラリアはピーターに対して
謝罪しているのですがそれはピーターの他界から6年後でした。

なぜここまで時間がかかったのでしょうか。

今回はこれらについて迫っていきます。



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~ピーターノーマン(銀メダル)の実話が語られる!~


1968年に行われたメキシコオリンピックでの実話です。

オーストラリア出身のピーターノーマンは
男子200m走に出場予定でした。

しかし国からは全く応援されない存在。

というのも、男子200mには世界最強ともいえるアメリカのジョン・カーロスと
トミー・スミスらも出場予定だったためピーターがメダルを獲得するなど
1㎜たりとも期待されていなかったのです。

しかし予選からいきなりの大会新記録を打ち出し、
決勝にコマを進めました。

当然、ジョンとトミーも決勝に進出していたので
ピーターは持ち前の気さくな性格で直ぐに2人とも打ち解けます。

そしてオリンピック決勝は
金メダルがトミー・スミス、銀メダルがピーターノーマン、
銅メダルがジョン・カーロスという結果になりました。

表彰台に上がることになった3人ですが
この表彰式が後に「ブラックパワー・サリュート」と呼ばれるようになるのです。

トミーとジョンはアメリカ人ですが
アフリカ系のため黒人でした。

これまで2人は世界中から差別を受け続けており
その人種差別に対して抗議するために表彰台では黒の手袋をはめて
拳を高く挙げたのです。

当時、この行為はかなりブーイングされ
国際オリンピック委員会は2人をオリンピックの出場を停止し追放されました。

そして2人の行為に賛同を示す「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」の
バッジをピーターも付けていたため銀メダルを取ったのにも関わらず
彼も同じように処罰を受けたのです。



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~ピーターノーマンに謝罪が遅れた理由は何?~


ピーターノーマンは白人ながらジョンとトミーに同調したとして
オーストラリア内ではバッシングの嵐にあいました。

というのも、国では白豪主義という
白人が最優先で考えられ国から白人以外の人種を追放しましょう
といった政策が掲げられていたのです。

このことがあってピーターも国からブーイングを受けたわけですが
その批判は彼が亡くなるまで続き、家族にまで脅迫状が届くほどでした。

オーストラリア政府からの謝罪は一度もなかったのですが
ピーターが他界してから6年後、なんと正式に謝罪を受けたのです。

ではなぜ6年経った後に謝罪という形になったのでしょうか。

それは当時下院議員だったアンドリュー・リーが率先して
この動きを促したのです。

国としては、ピーターが世界を代表して人種間の平等を唱えたにもかかわらず
その力強い役割への認識に時間がかかったとのこと。

この実話がアンビリバボーにて語られます。
ぜひオンエアをお見逃しなく!

以上、「ピーターノーマン(銀メダル)の実話公開!謝罪するのに時間がかかった理由とは?」でした。



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